1. 長田神社の建物について
昭和の神社社殿建築のなかでも由緒を反映した趣のある造りとして有名で、本殿や幣殿、拝殿、前拝、東西楽舎には漆下地丹塗を施し、また、極彩色仕様と銅板葺による施行の社伝となっています。鮮やかな色は、参拝者の目を奪うほど見事です。また、神戸市で戦災を免がれた唯一の社殿と言われいます。
本殿と拝殿
本殿は神社の建築様式のなかでも一般的とされる「流造」のうち、正面の柱が4本で柱間の間口が3間ある三間社流造です。拝殿は、単層五間・四間入母屋破風造という建築様式になっています。
参集殿
長田神社の参集殿は、主に神社の公式行事や神事の際に利用されるほか、結婚式や初宮詣、七五三などの家族の節目の儀式にも使われます。また、地域の会合や文化活動、講演会、展示会などにも貸し出されており、神社が地域社会とつながる拠点の役割を果たしています。
長田神社は震災の被害を受けた歴史も持ち、阪神・淡路大震災(1995年)では一部の建物が被害を受けました。しかし、その後の復興によって美しく整備され、現在も多くの参拝者に親しまれています。建物の随所には、伝統を大切にしながらも耐震性や耐火性を考慮した工夫が施されており、時代とともに進化しながらも、長田神社の歴史と格式をしっかりと守り続けています。
2. 長田神社の歴史について
長田神社は、兵庫県神戸市長田区に鎮座する由緒ある神社で、約1800年の歴史を持つとされています。その創建は、日本神話の時代にさかのぼり、2世紀頃の神功皇后が国家鎮護のために現在の地に社を設けたのが始まりと伝えられています。御祭神は「事代主神(ことしろぬしのかみ)」であり、商売繁盛や海上安全、開運招福の神として広く信仰されています。
近代射角制度により1871年(明治4年)には県社となり、その後の1885年(明治18年)には初めて官弊社・官弊小社になりまたさらに1896年には官弊中社へと昇格しました。社格昇格の経緯については神戸市内にある生田神社の場合と同様・同時と言われています。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では、社殿や境内の建物が損傷を受けましたが修復が行われ、2000年(平成12年)に復旧して現在もその姿を保っています。また、かつて境内には数百の鶏が飼われていたことから、外国人から「チキンテンプル」と呼ばれていました。
現在の長田神社は、伝統を守りながらも地域と共に発展し続ける神社として、多くの参拝者に親しまれています。商売繁盛や開運を願う人々が訪れるだけでなく、長田区の文化や歴史を象徴する存在として、今なお深い信仰を集めています。
3. 長田神社の現代の意義
長田神社は、神戸市長田区における歴史と信仰の中心として、現代においても重要な役割を果たしています。約1800年の歴史を持つこの神社は、伝統を守りながらも、地域社会と共に発展し続ける存在となっています。
まず、長田神社は地域の信仰の拠点として、多くの人々の精神的な支えとなっています。御祭神である事代主神(ことしろぬしのかみ)は商売繁盛や開運招福の神として広く信仰されており、毎年の初詣には多くの参拝者が訪れます。特に、商売を営む人々にとっては重要な神社であり、地元の商業発展とも密接に結びついています。
また、長田神社は地域文化の発信地としての役割も担っています。年間を通じて様々な祭りや行事が行われ、地元住民の交流の場となっています。特に「長田神社秋祭り」は、氏子や地域住民にとって大切な行事であり、神輿や獅子舞などが奉納され、伝統文化が受け継がれています。こうした祭りは、地域の結びつきを強めるだけでなく、観光資源としても注目され、多くの人々を惹きつけています。
さらに、長田神社は阪神・淡路大震災(1995年)の復興とともに歩んできた歴史を持ちます。震災では社殿や境内の建物が大きな被害を受けましたが、その後の修復を経て、地域の復興の象徴としての役割を果たしてきました。震災を経験した長田区の住民にとって、長田神社は「再生」と「希望」のシンボルとなり、困難を乗り越える力を与えてくれる場所となっています。
長田神社の所在地・アクセス・詳細情報
| 所在地 | 〒653-0812 神戸市長田区長田町3丁目1番1号 |
| アクセス |
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| 駐車場 | 駐車場有(10台ほど) |
| 電話番号 |
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| 参拝時間 | |
| 公式ウェブサイト | https://nagatajinja.jp/ |

